2010.04.30 Friday
あたらしいCDは聴いてない
今月はいろいろなことがありました。で、ようやく、月末を迎えたので少し音楽の話を。
といいたいところなんですが、オヤジが逝って以来、どうも音楽を聴く気になれず、あたらしいCDは聴いてない。
まあ、どうも音楽を聴く気になれないっていうよりも、心から寛ぐ気になれないっていうのが正解のよう。
それで、こういう事態になったときに聴こうと思ってたCDを再掲するということで。
昨年の8月末に紹介した「Their Memories of a Dream(1) 〜Until The End Of The Dream 1〜」と、
9月末に紹介した「Their Memories of a Dream(2) 〜Until The End Of The Dream 2〜」。
いずれも厨房男の友人Y氏がつくったOne's Memories of a Dreamシリーズの8枚目と9枚目。
Until The End Of The Dream、夢の果てまで・・・。
ちょうど去年の夏、オヤジの主治医に呼び出されて癌を宣告された。余命半年とも。
で、いろんなことがアタマの中をグルグルと渦巻いてたんですが、その時聴いてたTheir Memories of a Dream(1) が、凄く心に染みいった。
その時のエントリを援用すると・・・独特の水彩画を描くように、自身のヴォーカルを幾重にも塗り重ねていくエンヤ、凛とした透明感に満ち、奥底からこだまするようなサラ・マクラクランのサウンド、マドレデウスの静寂のようなサウンドに記憶を呼び覚ますかのように響き渡るテレーザのヴォーカル。ホントに元から1枚のアルバムやったといっても信じられるくらい共通するテイストが流れてる。
それらはみんな、夢や感情、自然なんかを唄ったり、奏でたりしたものなんやろうけど、Y氏の編集によるこのアルバムを通して聴くと、切ないっていうようなはにかむような甘い気持ちではなくて、感情が何かに突き当たり、降下していく。溜息が出るような諦念を癒すかのような音楽。そう、「諦念」っていうのがこのアルバムにふさわしい感情かも知れません・・・と。
それから次の月末にかけて、Their Memories of a Dream(2)を。
前の月の1枚目の方を「諦念」と評したんですが、今月の2枚目は、「諦念」から一歩進んだ「達観」のアルバムと(勝手に)呼んだ。
構成は前の月と同様、エンヤとサラ・マクラクラン、それにマドレデウスなんですが、前の月のアルバムが、感情が何かに突き当たり、降下していく、溜息が出るような諦念を癒すかのような音楽やったのが、この月のは感情が降下して地に墜ち、底に辿り着いたときにわき上がる達観のよう。何かを吹っ切って朗々と歌い上げる。別に力がみなぎるとか、そんな感じではなくて、肩の力が抜け淡々としたスタンスで、そう、何かが欠けてもそうするしかないんだというような達観。
「諦念」から「達観」へ。諦念のアルバムは、きっと聴くことになるが、聴くようなシチュエーションにはなりたくないと言ったんですが、そこから先へと行くには、達観のアルバムのお世話になるかも知れませんと言った。
オヤジが逝って以来、あたらしいCDも聴いてないんですが、この2枚のCDもまだ聴けてない。
まあ、聴く気になるのを待つしかないですね。
といいたいところなんですが、オヤジが逝って以来、どうも音楽を聴く気になれず、あたらしいCDは聴いてない。
まあ、どうも音楽を聴く気になれないっていうよりも、心から寛ぐ気になれないっていうのが正解のよう。
それで、こういう事態になったときに聴こうと思ってたCDを再掲するということで。
昨年の8月末に紹介した「Their Memories of a Dream(1) 〜Until The End Of The Dream 1〜」と、
9月末に紹介した「Their Memories of a Dream(2) 〜Until The End Of The Dream 2〜」。
いずれも厨房男の友人Y氏がつくったOne's Memories of a Dreamシリーズの8枚目と9枚目。
Until The End Of The Dream、夢の果てまで・・・。
ちょうど去年の夏、オヤジの主治医に呼び出されて癌を宣告された。余命半年とも。
で、いろんなことがアタマの中をグルグルと渦巻いてたんですが、その時聴いてたTheir Memories of a Dream(1) が、凄く心に染みいった。
その時のエントリを援用すると・・・独特の水彩画を描くように、自身のヴォーカルを幾重にも塗り重ねていくエンヤ、凛とした透明感に満ち、奥底からこだまするようなサラ・マクラクランのサウンド、マドレデウスの静寂のようなサウンドに記憶を呼び覚ますかのように響き渡るテレーザのヴォーカル。ホントに元から1枚のアルバムやったといっても信じられるくらい共通するテイストが流れてる。
それらはみんな、夢や感情、自然なんかを唄ったり、奏でたりしたものなんやろうけど、Y氏の編集によるこのアルバムを通して聴くと、切ないっていうようなはにかむような甘い気持ちではなくて、感情が何かに突き当たり、降下していく。溜息が出るような諦念を癒すかのような音楽。そう、「諦念」っていうのがこのアルバムにふさわしい感情かも知れません・・・と。
それから次の月末にかけて、Their Memories of a Dream(2)を。
前の月の1枚目の方を「諦念」と評したんですが、今月の2枚目は、「諦念」から一歩進んだ「達観」のアルバムと(勝手に)呼んだ。
構成は前の月と同様、エンヤとサラ・マクラクラン、それにマドレデウスなんですが、前の月のアルバムが、感情が何かに突き当たり、降下していく、溜息が出るような諦念を癒すかのような音楽やったのが、この月のは感情が降下して地に墜ち、底に辿り着いたときにわき上がる達観のよう。何かを吹っ切って朗々と歌い上げる。別に力がみなぎるとか、そんな感じではなくて、肩の力が抜け淡々としたスタンスで、そう、何かが欠けてもそうするしかないんだというような達観。
「諦念」から「達観」へ。諦念のアルバムは、きっと聴くことになるが、聴くようなシチュエーションにはなりたくないと言ったんですが、そこから先へと行くには、達観のアルバムのお世話になるかも知れませんと言った。
オヤジが逝って以来、あたらしいCDも聴いてないんですが、この2枚のCDもまだ聴けてない。
まあ、聴く気になるのを待つしかないですね。
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