厨房男

こどもの頃に欠乏していた食の体験を取り戻そうとする厨房男の喰う・呑む・つくる・・・のはなし
<< スッキリ!  こだわりすぎのドーナツ >>

「食文化入門」

2019-03-15.jpgこのあいだまで、ひょんなことからレポートに取り組む羽目に陥ったのですが、どうせ書くなら食文化に関するレポートにしようと、わざわざこちらへ水を引っぱってきた・・・ていうのは以前にも書いたとおり。

で、あらためて食文化っていうのを考えるのに、まず繙いたのがこの本。

 

この本の著者、石毛直道先生は食を新しい学問として開拓した食文化の泰斗。ぼくに食文化というものの蒙を啓いてくれたわけで、いやもう、さん付けでお呼びするのもおこがましい。ここはもう先生と呼ばねばと思ってる。

 

で、その先生が言うには、食べることは「文化」だと。

「文化」っていうのは、生物としてのヒトに遺伝的に組み込まれた行動ではなく、人間の集団のなかで後天的に習得しなければならない行動。食欲は生物に遺伝的に組み込まれた本能でもあるけど、人間の食事は、他の動物の食事とは異なる側面がある。人間が「食べる」ということには、食物を生産し、加工し、あるいは食物を器に盛って食べる、食べかたを規定する食事作法などさまざまな事柄がつきまとってる。それらの食事にまつわる技術や食事においての人間のふるまいかたのおおくは、本能として遺伝的に伝達されることではなく、ヒトが生まれたあとに学習した、文化的な行為だと。

とはいえ、人類の食行動の変異の幅はきわめて広いわけで、その中ですべての人類に共通し、しかも人類史の初期にまでさかのぼれる事柄はなんであるかを考えたとき、「人類は料理をする動物である」というテーゼと、「人間は共食をする動物である」というテーゼにたどりつく。

「料理」は、自然の産物である食品の加工であり、食に関する物質的側面の話。一方の「共食」は、食べるという人間の本能的ふるまいに文化を付加することであり、食の社会的側面といえる・・・と。

でもって、ぼくは、この共食っていうところにすごく惹かれたわけ。もちろん共食っていうのは共食いではなくて、一緒にテーブルを囲むってこと。それが、家族であったり、異文化コミュニケーションの始まりであったり、あるいは、神と共に食を経験するっていうことであったり。

 

食に関する文化の研究は、食物史の分野を除いては,世界的にもあたらしい研究領域なんだそうで、先生が食文化の研究を開始した1960年代の終わりごろは欧米でも、食の文化的側面に関する研究は食物史の分野に関する事柄が主流で、文化人類学視点から人類の食を総合的に考察することは行われていなかったんだそう。

そうは言っても、先生が研究を始められてからほぼ50年が経過するわけで、その間の業績は膨大なものになると思う。

レポートを書くにあたって内外含めて数十冊は目を通したつもりなんですけども、そんなのまだまだほんの一部なわけで、あらためてこの領域の広大無辺なことに気付かされてくらいのもの。

七転八倒した割には、レポートの出来はまったくもって不本意だったっていうのはともかくとして、これを機会に食文化っていう領域を再認識できたっていうのはひとつの収穫と思いたい。

だから、この領域、これを機に少し、うろついてみようと思ってます。

  

JUGEMテーマ:グルメ
  
 | comments(0) | - | 

COMMENTS

COMMENT?

 
 
 


S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>