「食の社会学」〜パラドクスから考える〜
最近、ひょんなことからレポートを書く羽目に陥りまして、やたらに本を乱読してる。
だから、ブログで取り上げる本を読む暇もない・・・と書きたいところなんですが、実はそのレポート、食文化に関するレポートなんで、ブログとけっこう重なるところがある。
もっというと、どうせ書くなら食文化に関するレポートにしようと、わざわざこちらへ水を引っぱってきたっていうのが真相。
さて、そのレポートを書くにあたって読んだ本となれば、石毛直道やマイケル・ポーランなど、内外含めてもう数十冊にも上るんですが、いちばんおもしろかったっていうか、興味を引かれたっていうか、引用をいっぱいしたっていうのがこの本、「食の社会学」。「パラドクスから考える」っていう副題がついてます。
著者のエイミー・グプティル、デニス・コプルトン、ベッツィ・ルーカルは、いずれもニューヨーク州立大学やインディアナ大学で教鞭をとってる准教授。で、彼女らが「食」にまつわるパラドクスを切り口に、複雑化する現代の食文化のさまざまな側面を検証していく。言ってみれば若手の学者が、近年注目されている「食」をめぐるテーマをめぐり、人類学、社会学、地理学、政治経済学、歴史学といった知見を総動員して論じてるわけ。
章立ては、第1章が「食の社会学」で、この本の原則とこの本における“パラドクス”について、第2章「食とアイデンティティ」では、食べ物がなぜ個人や集団のアイデンティティの中心となるのかを、第3章「スペクタクルとしての食」は、豪華な料理を支える労働は非常に苛酷なことや、フードエンターテインメントを提供するメディアについて、第4章「栄養と健康」では、農業団体や食品産業の利益を保護しつつ、人々に栄養勧告を行う米国農務省の抱えるパラドクスを論じてる。
第5章「ブランド化とマーケティング」では、消費者主権と企業の影響力について、第6章「工業化される食」では、工業的に生産されるハンバーガーなどの食品の安さと、社会的・環境コストの高さというパラドクス、第7章「グローバルフード」では、国境を超え複雑化する食品供給網を論じ、第8章「食料アクセスの問題」では、食へのアクセスの不平等から余刺と不足が同時に起きているパラドクスを、そして終章の第9卓「食と社会変化」では、新たな価値を求めてフードデモクラシーというキーワードで締めくくられている。
このなかで、引用したのは、第2章と、第9章なんですが、むしろ引用したところ以外の、食をめぐるジェンダーやLGBTにおける食の分担なんかがけっこうおもしろいなぁと。
たとえば、ゲイやレズビアンのカップルでは、食事のしたくはカップルの間で平等に配分されていないそうで、にもかかわらず、ゲイのカップルでは、料理にあまり関わっていない男性が、自分は料理に関わっていると主張する。
これは、もう一方の男性の男らしさのイメージを強化しようとしているのではないかという考察がある一方で、レズビアンのカップルでは、食事の準備に関わることの多いほうは、そうではないほうの女性らしさを傷つけないために、自分の仕事を控えめに言う傾向があるんだそう。
こういう自分のテーマとは脱線したところにオモシロさが散らばってキラキラしてるわけ。
例によって、レポートはまだ七転八倒してるところなんですが、レポートを脱稿してからもう一度あらためて読んでみたいなぁ。
もっとも、この本、近隣の図書館にはなくて、わざわざ大阪府立の図書館から取り寄せてもらったんで、手続きがまためんどくさいんですけどね。
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