厨房男

こどもの頃に欠乏していた食の体験を取り戻そうとする厨房男の喰う・呑む・つくる・・・のはなし
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「食べること 考えること」

2017-04-15.jpg著者が語ります。「食べものは、祈りにも似た物語がなければ美味しく食べられないという事実。わたしたちは「食べもの」という幻想を食べて生きている ただ、やっかいなのは、幻想であるがゆえに物語が肥大化することだ。」と。
で、冒頭には、それにまつわるエピソードが語られてるんですが、それは省略。だって、祈りにも似た物語がないと、いかに美味しく食べられないかっていうことを表すエピソードですから。

著者の藤原辰史さんは農業経済学者。2013年、「ナチスのキッチン」で第一回河合隼雄学芸賞を受賞。この本「食べること 考えること」はそれに続く著作で、農業思想史・農業技術史の視点から、エネルギーや生命倫理、生活文化など、「食」をめぐる洞察が集められてる。

ただ、ぼくはこの前作「ナチスのキッチン」を読んでないもんですから、どんな作品かは想像するしかないんやけども、ちょうどこの本「食べること 考えること」の中で、31歳で夭折した画家、石田徹也さんの「燃料補給のような食事」という絵を引き合いに出して、こんなふうに説明してる。

「オレンジ色のエプロンを着た同じ顔で無表情の三人の店員が、黒いスーツに身を包んでカウンター席に座っている三人のサラリーマンの口に、ガソリンスタンドの給油ノズルをつっこんでいる。氷のように冷たい絵だ。この絵が切り取った現代の食の特徴はふたつ。「食べるひと」の機械化と、「食べるもの」の液状化である。家政学や栄養学が消化によいものを求めるあまり、料理から歯ごたえを奪っていった事実は、拙著でも紹介した。チェーン店の牛丼屋やハンバーガー屋は、見方によっては、こうした「機械化」と「液状化」という恐怖体験の娯楽施設でもある。拙著で描こうとしたことは、食事の、まさに「給油化」の過程だったのかもしれない。台所が小さな「工場」となり、食の技法が化学反応過程になる、そんな歴史である。」と。

で、著者は言います。「このあり方に、近現代人が求めてきた食の機能主義の究極的な姿を認めざるをえない。どちらも、人間ではなくシステムを優先し、どちらも、「食べること」という人類の基本的な文化行為をかぎりなく「栄養摂取」に近づけているのだ。」と。

さらに、「食べる時間を削って仕事に充ててきた日本の猛烈サラリーマンたちの行き着いた先が、「瞬間チャージ」が謳われる栄養機能食品であったことは、無数のドラッグストアやコンビニェンスストアが証言してくれるだろう。葉緑体を体内に埋め込み、太陽光でブドウ糖を生産する技術が開発され、台所と食事を廃棄する日もそう遠くはないのだろう。」とも。

著者は本書が「「複製技術時代」に人びとが生きものを食べたり育てたりする行為が、どのような変化を遂げ、どのような可能性を持っているかについての論考をまとめたもの」って書いてるんですが、これでは可能性ではなくて危険性を持っているかっていうことではないかな。

最後に著者は言います。「みんなで一緒に作って、食べて、片づけることは、実に楽しく、美しい。その時間を惜しんで成長に邁進する社会こそが【再暗黒】」だと。
そのとおりだと思う。そのとおりだとは思うんですが、もうちょっと祈りにも似た物語を交えて書いてほしかったなぁ。


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