「食べたくなる本」
毎月中日あたりには本のことを書いてる。
ルールは食に関する本。
食に関する本って言っても、領域はすごく広くって、いわゆる料理本から、食文化に関する本や小説、雑誌の特集、果ては絵本まで、ぼくが読んでオモシロイなぁって思ったのを気まぐれに取り上げてる。
で、ことしはいわゆる料理本を多く取り上げたいと思ってる。
去年は9月、10月と本の話をアップできなくて、11月にようやく「THE FOOD LAB」について書いたんだけど、順番から行くとその前に、この「食べたくなる本」の話をアップしたかった。というのもこの本、料理本を批評した「料理本の本」だから。
著者は映画批評家で青学の文学部准教授なんだけど、冒頭に記されてるのを読むと、ぼくと同様、料理書に魅了されて、日々の暮らしの折々にページをめくり、取りいれられるものは食卓に取りいれるということをしてきたんだそう。
でも、偏愛する料理の本を読み、ときにはそこに載っているレシピを実際に試しつつ、考えたことはもう、遥かに深く、なかなか唸らされる。
取り上げられてる文献も、何割かはぼくも既読の料理本。例えば土井正晴さんや高山なおみさん、ケンタロウさん、それから、ウー・ウェン先生や玉村豊男さん、四方田犬彦さんと、ぼくも以前取り上げたことのある方々の著作が名前を連ねてる。
でも、やっぱり未読の方の話に触れると、ほんとにその本を手に取ってみたくなるような思いに駆られる。
例えば、丸元淑生さんについて。
氏は殊に丸元さんについて、ずいぶんと紙面を割き、その世間の常識に囚われることのない独創的な提案に幾度となく触れている。
たとえば「煮魚」。ふたと鍋の間が密閉される鍋(ビタクラフト社のものを強く推奨)に、うろこなどを取った魚を入れて、上から酒と少量の醤油を注ぎ、ふたをして、ひたすらごく弱火で加熱をつづける。そうすると魚からも水分が出て煮汁となる。その汁の味を醤油で調整して完成というレシピ。誰かの釣果のおすそ分けで新鮮な魚が手に入ったら、ちょっとやってみたいなぁって思ったりしてる。
さらに極めつけはアサリ二キロのスパゲッティ。この量のあさりを使うと一切の調味料を加える必要がなく、完璧に味がまとまるんだとか。まあ、貝が苦手なぼくにとって、なかなか試しようのない話なんだけど。
それから、細川亜衣さんの蒸したカリフラワーのピュレ。
カリフラワーは塊のまま、蒸し器から甘い香りが漂うまでひたすら蒸す。花のところが危ういくらいにぶわぶわになり、芯まで同じように柔らかくなって初めて蒸し器から取り出し、器に盛って、何の抵抗もなくつぶれてくれたら、あとは香りのよいオリーブオイルをたっぷりと混ぜ込み、粗塩で平坦でない塩味をつけるのみ。
口にした人が、必ず目を見張る料理なんだそう。
そんな料理は、そうそう生まれるものではない。この文章に初めて触れたときは、おお、とまさに脱帽する思いだったという。・・・と、細川さんのことを書いた氏の文章に触れただけでこっちも脱帽したくなるんだけどね。
と、いろいろ書くとネタバレも度を越してしまうので端折るけど、「スローフードーレストラン計画」や「添加物の味きき」なんて言うのも、めちゃくちゃオモシロかった。
最後にもうひとつだけ、取り上げさせていただきたいのは山形の名店、アル・ケッチァーノの奥田政行さんに触発されたくだり。
なるべく新鮮な魚介を、まず生で一切れ食べてみて、どんな香り、どんな味わいがするかを分析してみる。次に、どんな陸のものと合うか、どう加熱すればいいかを考える・・・
これなんかは全文を通して読まないと、なかなかその本意は見えてこないだろうけど、ぜひ心がけてみたいなぁって思う。
とまあ、料理本を批評した「食べたくなる本」。
ことしは料理本を多く取り上げたいと思ってるんで、まずはこの本を。
で、なんでこの本を去年の9月、10月にアップしなかったかというと、この本、ひょっとしたら今年の1冊に推挙するかもしれないから。
それほどオモシロかった。まあ、これを超えるオモシロイ本が出てくれば、さらにオモシロイんだけどね。