喪中なれど、ことしもおせち
2020年が明けました。
で、「おめでとう」を言わないのは昨年におふくろが逝ったから。
9年前、親父が逝った翌年の元旦の更新に倣って。
で、その更新を繙いてみると、そのときもおせちに苦慮したようなんだけど、いろいろ迷った挙句、結局省いたのは鏡餅と睨み鯛だけで、大半がいつものとおり。
で、まずはお屠蘇から。
お屠蘇といっても屠蘇散を漬け込むわけでなく、単に正月に飲む酒のことをそう呼んでるだけのことなんだけど、
ことしのお屠蘇は、昨年同様「酒造りの神様」の異名をもつ日本最高峰の醸造家、農口宗彦さんが醸す純米無濾過生原酒。昨年味わった感動をもう一度ということで。
うまい。去年の出会ったときの感動はないにせよ、やはりうまい。1年ぶりに再会できて嬉しかった。
それから、おせち。
これも去年までと基本的には変わらず。
でも、去年までと違うのは、おふくろが逝って、ことしは姉の家の分もつくらなかったので、純粋に自分の家だけのために。
まず、一の重は棒鱈、数の子、田作り、黒豆、鯛の子、そして海老。
正直に言うと、ことしはほんとに手を抜いてて、棒鱈、数の子、黒豆っていうおせちの難関はことごとく市販のものを流用。
だから、一の重でぼくがつくったのは田作りと海老、それに鯛の子の煮つけ。まあ、このあたりは結局のところ素材の良し悪しが決め手となるわけで、腕はそんなに問題ではないんだけど。
で、次が二の重。
こちらは三色蒟蒻と慈姑、昆布巻き、竹輪に膾、そして鰤、イクラ。
一の重で納まりきれなかった海の幸をこっちへ納め、隙間が空いたところへ苦肉の策で竹輪と膾を加えてみた。
だから膾はともかくとして、竹輪っていうのはもともと入れるつもりじゃなかったんだけど。
で、竹輪もそうなんだけど、この重も市販のものをいろいろ使ってて、昆布巻きとイクラも市販のをそのまんま盛り付けただけのこと。
でも、初めて入れた膾とか、鰤は照り焼きじゃなくて幽庵焼きに(しかも焼き立てじゃないので味を少し濃い目に)するとか、少し変化をつけてみた。この先、慈姑は煮〆じゃなくて、素揚げにするとか、あるいは別の何かを盛り込むとか、少しずつ変えていきたいなぁって思ってる。
それから、三の重。
こちらはもう煮〆だけ。
でも、高野豆腐から炊きはじめて、次に筍を炊き、蓮根、慈姑、蒟蒻、牛蒡、椎茸と順に味を濃くしたり、少しずつ調えながら炊いていくっていうのは、おかんの手法を踏襲して。
ただ、下の娘が椎茸嫌いなので、椎茸をいちばん最後にしなければならず、椎茸の旨みを反映できないのは少し残念なことだけど。
で、余の重。
余の重は小さいお重をそのまま使って。
もともとわが家の余の重は、かまぼこを入れるっていうのが本来の目的だったんだけど、それにハムが増え、あと焼き豚やら合鴨やらが増え、二段では納まりきれなくなり、ことしからは三段にして、あいだをブロッコリーやらトマトやらで埋めるっていう策に出た。
でも、このままいくとどんどん肥大化していくっていう傾向は否めず、来年からは意識的に絞っていこうと思ってる。それに先に書いた鰤を照り焼きじゃなく幽庵焼きにしてみたり、慈姑を素揚げにしてみたりと、全体的に見直しをかけていこうと思ってる。
ただ、これは種類を減らしていくってことじゃなくて、全体的にダウンサイジングして、もう少しきっちり納めていこうってことでもあるんだけども。
それに娘からはサーモンを入れてとか、やっぱり栗きんとんが欲しいとかいうリクエストもあるしね。
というわけで、変えるべきは変える。
でも、基本は代々のとおりで、雑煮なんかはその最たるものかな。
まあ、彩りで三つ葉でも添えてみたり、あるいは柚子皮を留めてみるっていうくらいは、やってもいい気もするけど。
というわけで、ことしのおせち。
冒頭に書いたように、結局省いたのは鏡餅と睨み鯛だけで、大半がいつもどおりなんだけど、ことしがきっかけで、来年はあれをしようこれをしようとか、あるいはこれは省こうとか、おせちを見直すきっかけになったかもしれない。
こういうのもやっぱり伝統を守るっていうのも大事な一方で、時代に合わせてアップデイトを試みるっていうことも大事だからね。
さあ、来年はどんなのになるんだろうねぇ。