厨房男

こどもの頃に欠乏していた食の体験を取り戻そうとする厨房男の喰う・呑む・つくる・・・のはなし

「ケトジェニックダイエット」

2017-11-15.jpgいつの間にか今月も中日を過ぎてしまいまして、うっかり本の紹介をすっ飛ばしてしまったんですが、遅ればせながら。
で、紹介するのはズバリ、「ケトジェニックダイエット」。
このあいだから取り組んでるダイエットの元になった本。

少し前につれあいの同僚がこの方法で痩せたっていうので、つれあいがわざわざこの本を借りてきてくれたわけ。なので、取り組むっていうのは必然的な流れやったんですけど、問題はいつからしようかっていうことやったんですが・・・。
で、先月にちょうど人間ドックに行く機会がありまして、その翌週から取り組もうってことで決心しまして、それで10月の25日から始めたっていうのは、すでにブログで紹介したとおり。

さて、その内容なんですけど、まず、「ケトジェニック」っていうのは「ケトン体生成の」という意味なんだそうで、その「ケトン体」っていうのは糖に変わるエネルギーなんだとか。
で、糖質制限をするとそのケトン体を生成する回路が活性化し、その回路でケトン体がつくられて体脂肪を分解するんだそう。
でもって、同時にタンパク質など必要な栄養素を摂ることで、痩せながら若々しくなり、体調も良くなるっていうのがケトジェニックダイエットのしくみっていう話。

で、その肝心のケトン体回路を回すポイントっていうのは、まずは糖質を制限すること。
これで、ここ最近ごはんはおろか、うどんもパスタもじゃがいもなんかの穀類もほぼほぼ口にしてない。もちろんスイーツもここ最近はご無沙汰。
そのかわりに肉や卵、豆腐や揚げなんかタンパク質をガッツリと。もちろん食物繊維・ミネラルを摂取するため野菜も応分に摂り、さらにオメガ3脂肪酸を摂るために、亜麻仁油でドレッシングを拵えたり、あるいは間食にナッツを食べたり。

ま、その甲斐あって、現在3.5圓らい順調に減ってきた。
で、一応は1ヶ月でケトジェニックダイエットのヘビーローテーションは終えるつもりなんやけども、ここまでオモシロく痩せてくると、もうちょっと継続してみようかなぁっていう気も少しはあったりする。
でもなぁ、やっぱり白いごはんをかきこみたいっていう願望は根強いものがあって、リバウンドに気をつけながらふだんの食生活へ戻していくつもり。
いや、もはや以前の食生活とはちょっと変容した、あたらしいふだんの食生活っていうのを組み立てていかないといけないんでしょうがね。ま、そのあたりは、1ヶ月が終わる25日以降の話になるんかな。

でも、その頃がちょうど忘年会シーズンに当たるんでちょっと心配でもあるんですけどね。


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「塩の味」

2017-10-15.jpg
まだ読了していない本のことを書こうと思う
まだ表題作までも読み進んでないのに、こうして感想を書くっていうのはおこがましいとは思うんですが、奥付を見ると月刊プレイボーイで連載された短編集なんだそうで、きっと構造というか、中身的には同じ傾向の掌編が続くんだろうなぁということで。
とはいえ、それが退屈だということではない。むしろ、チビチビと酒を愉しむがごときペースに、このブログがうまくリンクできなかったっていうだけのこと。

で、この本、どういう内容かっていうと、amazonを覗くと、「フレンチから家庭料理まで、いくつもの食卓に繰り広げられる男と女の、子供たちの、恋人達の、哀しみと歓びの物語。かぐわしくてせつない料理小説集。懐かしくも胸締めつけられる絶品の数々」とあって、「BOOK」データベースからの引用で、「エロスの食卓二十二景。かぐわしくてせつない男と女のエロスの食卓。新鮮美味官能料理小説集」とアリマス。
著者は大岡玲氏。「黄昏のストーム・シーディング」で三島由紀夫賞を、「表層生活」で芥川賞をとっているストーリテラー。そのうえ、「日本グルメ語辞典」なる著書もあるくらいで、食および食の表象にも精通されてる。そういう人が書く掌編なわけですから、まさに珠玉なわけで、中身的に同じ傾向の掌編が続くとしても、それはそれで一篇一篇がおいしいわけ。

ただ、特徴の味付け。これが官能料理小説集となってるがゆえに、少しエロチックな風情が漂ってるんですが、2月にアップした久世光彦氏の「飲食男女」の艶っぽさとはまた違う風情。
対象が月刊プレイボーイの読者ですから、もう少し濃いめの味付けっていうか、グラマラスっていうか。
でも、食欲と性愛を結びつけるっていう方向は、つまるところ谷崎潤一郎に行きつくんじゃないかなぁって、ちょっとぼんやりと思ってる。
谷崎潤一郎の作品は、食が主題となることはほとんどなかったはずなんですが、氏の小説は食に関する描写に溢れてる。「痴人の愛」や「卍」は。食を通してエロチシズムを比喩的に表現しようとしたっていうくらいですから。
2月の「飲食男女」から少し飛んで今月の「潮の味」。またすこし飛ぶかもしれませんけど、次はやっぱり谷崎かなぁ。


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「新しいおいしさ」

2017-09-15.jpgきのうまで洋食、洋食、洋食、和食と来て、「次の予想は中華かなぁ?」って書いたんですが、その予想を裏切って本の紹介。中日っていうのを忘れてたもんで。

このAXISという雑誌。むかしっからいろいろ建築雑誌とかデザイン雑誌とかをとってたんですが、現在はこの1冊に落ち着いてる。まあ、むかし芸術系を専攻してたその証みたいなもんですかね。

で、そのAXISが「新しいおいしさ」っていう特集を組んだもんですから、こりゃやっぱり取り上げようかなってことで。この前ブルータスを取り上げたんで、雑誌を取り上げることにハードルもなくなったもんですから。

というわけで、「新しいおいしさ」。現代の多様な食環境にあって生命や社会の活力にもつながるおいしさの来し方とこれからの行方を探るというテーマ。
表紙の画像は「絶望と希望のグラノーラ」。森枝幹っていう気鋭のシェフの作品。
ディストピア社会の朝食をイメージしたんだそう。
もう少し詳しく書くと、気候変動と人口増加によって絶望的な食糧危機が訪れた未来を想定。過酷な環境でも育つキヌアや蕎麦を使い、豆乳のヨーグルトをかけてる。
アクセントに加えられてるのはイナゴと蜂の子。良質なタンパク資源として今後注目されるであろう昆虫食・・・てな具合。従来は不要とされていた食材を見直すと明るい未来が見えてくるのではという考えなんだそう。
他にも完全栄養食「ベースパスタ」とか植物由来の「ビヨンドミート」、あるいは電気で味覚をコントロールするエレクトリックテイストや味覚センサーが解き明かす味の秘密とか、さらには科学によって解き明かされたその先に、日本料理の新たなおいしさを探る・・・なんていう、あたらしい発想や取組が離陸していく。

でもなぁ、こういうコンセプトを持った食の提案とかって、どんどんぼくらの手元から遠ざかっていくような提案で、とてもとてもそれで真似ができるとかいう話ではないワケ。
でも、それでもぼくは飽くことなく厨房に籠ってるわけでして、こういう離陸していく発想とは真逆の、内へと潜航していくような発想でどうにかならんやろかと思ってる。

まだまだしばらくは潜って何か見つからんかなぁって模索してることと思います。


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「星空カフェ」

2017-08-15.jpgお盆もそろそろ終わり。8月も中盤にさしかかったわけですから少し本の話でも。

下の娘がバレエを習ってまして、その発表会が毎年ならで行われる。
家族としては、当然その発表の舞台だけを見ればいいってわけにはいかず、早くから乗り込んでいろいろと用事をするわけなんですが、ぼくはいつも、つれあいと娘を早くから発表会場となるホールへと送る運転手の役割を仰せつかってる。

で、あとは舞台までの時間をつぶさないといけないんですが、さいわいそのホールには大きな図書館が併設されてて、暇つぶしには事欠かない。でもって、その日に図書館を渉猟してめぐり合ったのがこの1冊。「星空カフェ」。

以前にも書いたように、ぼくが本を選ぶのには自分なりの基準みたいなのがあって、ここ最近だと「食堂」とか、「カフェ」とかいうワードにどうも惹かれるみたい。それでいうとこの題名、なかなか魅力的。

著者は、おなぎまなかさん。
正直言って全然知らない。ドイツかどこかでお住まいの方で、病床にあってこの本を著したんだとか。前に詩作が2冊あるだけで、ネットを検索してもほんど情報がない。

で、内容はというと、表題作から5ページほどの短篇が30篇ほど続く。
本当はもっと長い小説が書きたかったそうなんですが、気力も体力も続かず、これくらいの短いものを書くだけで精一杯だったんだそう。

その中で、もっとも心に残った一篇はというと、「歳月」という一篇。
恋人を亡くした女性に秘かに恋している青年の話。亡くなった恋人が持っていた懐中時計を探そうと旅立ち、ようやく探し当てたそれを女性に渡す。けども女性に求愛するではなしに、その充実した人生に感謝するという話。なかなかヨカッタ。

他にもいろいろあるけど、まずは是非手に取ってみて。ネットに書評もないようですし、自分で確かめるっていう原始的な方法がまだ有効なようですからね。


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「料理の四面体」

2017-07-15.jpg意外なことに玉村豊男さんの本を紹介してなかった。これまで、この方の本はけっこう読んでるんですがね。
この玉村さん、エッセイストとして有名な方なんですが、画家やワイナリーオーナーとしての貌も持ってる。まあ、人物像をきちっと認識してるわけではないけど、ぼく的には、食に関する造詣が深いエッセイストと認識してる。しかも食の造詣の深さは並ではない。なにせ東大仏文科からパリ大学言語学研究所に2年間留学、翻訳業を経て、果てはワイナリーオーナーにまでなる人ですからね。

で、その玉村さんの食に関する本としては最初か、それともずいぶん初期の本がこの「料理の四面体」。
料理をはじめてつくるときには、いわれたとおりにやらなければできない。
数多くの料理を覚え、ひととおりの手順を知るようになると、ようやく、こうやれば料理ができるのだという、料理の一般的原理が分かってくる。
しかし、そうなるためには年季がいるわけで、一発で料理の一般的原理を発見し、それを知ったらあとは次から次へと料理のレパートリーが無限に出てくるっていうような方法がないものか・・・
世界を旅して、いろいろなものを食べてみると、まったく違った姿の料理が次々に出てくるが、材料や調味料は異なるとはいえ、料理の方法じたいにはそう変わりはないのではないか・・・
そう考えていくうちに、料理の一般的原理を見つけることは案外やさしいのではないかと思いはじめたんだそう。
そんなふうなことを示す事例として、冒頭に引用された「アルジェリア式羊肉シチュー」が、「コトゥレット・ド・ムトン・ボンパドゥール」へと変異していく様は、なにかひとりの人物の顔が別の人物へと変異していくCGを想起させるような鮮やかなイメージを残してくれる。
そして、それをまた料理の四面体という理論に導いていくっていうのは、まさに鮮やかに料理したって感じですよね。
で、この四面体、正三角形が4枚合わさったかたちを想定してるんですが、底となる三角形の頂点には、それぞれ水、油、空気が位置付けられてる。で、それから立ち上がる三枚の三角形の最後の頂点には火が位置付けられている。
そして、たとえば火と空気を結ぶ稜線は、いちばん下が生もので、その上が干物、さらに上方にローストがあって、直火焼きと続いていく。これが油ならばコンフィからフライまで段階的な位置づけがあるんでしょうねぇ。
で、さらにこれが基本となる線的な位置づけなんですが、これが複合的になると面的な位置づけがあってさまざまな料理法がこのモデルのどこかにプロットされるっていう、そういう理論的な考え方。
この理論、20世紀を代表する思想家で「構造主義の父」といわれるレヴィ=ストロースの「料理の三角形」というキーワードが出発点になってるんだそう。
でも、たしかにその発想について類似点がありそうな感じなんですが、むしろ、先々月に紹介したアメリカきってのフードジャーナリスト、マイケル・ポーラン氏の「人間は料理をする」と比較するのがオモシロそうやとおもうんですが。


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「まぼろしのパン屋」

2017-06-15.jpgぼくの本選びっていうのは案外カンタンでして、最近はまちづくりやデザイン関係の本以外となると、もっぱら食べ物に関連した本ばかりっていう傾向。
で、食べ物関連も、以前に紹介した「かもめ食堂」や「食堂かたつむり」などに共通する「食堂」っていうキーワードがとても重要。
そういう意味では、「まぼろし」なんていうことばにはすごく惹かれるタチでして、そこにパン屋がひっつけば、もう読まない理由がない。

というわけで「まぼろしのパン屋」。
舞台は大東京電鉄が開発したつきみ野っていうところ。ここは主人公の勤め先のある渋谷へ直結している路線の始発駅だったという設定。途中駅で乗ってくるサラリーマンたちの苦労を脇目に、座って渋谷まで通勤という優越感に浸ってたのが、後年路線がひと駅延長され、始発駅ではなくなった。
このあたり、ぼくが住んでるところも首都圏と大阪圏の違いはあるけど同じ環境。何年か前にひと駅延長されて始発駅ではなくなったっていうところも一緒。
ただ、勤め先の会社の開発事業が頓挫、政財界を巻き込むスキャンダルで責任者は左遷され、主人公がところてん式に出世する。まあ、このあたりは全く真逆の境遇ですが。
で、そんなある日、通勤途上に見知らぬ老女からパンをもらったことからどんどんと主人公の人生が展開していく。
パンをもらった老女は、開発で買収交渉をしたまま頓挫していた「しあわせパン」の亡くなった女主人。不思議な糸を手繰っていくと・・・っていうストーリィ。

こんなふうに読み進んでいくと、今はもう閉店してしまったわが家行きつけのパン屋「ルヴァン・ルヴュール」を想い起さずにはいられない。
主人公と住んでる環境が一緒、まぼろしのパン屋っていう設定も思い当たるフシがある。作者は大阪市大出身で、まるで設定を東京に替えて書いたんやないかなぁって思えるほど。
まあ、出世に関しては真逆ですし、主人公ちの秘蔵のワイン、シャトー・ムートンも上の娘が生まれた年のを買おうとしたけど、結局買わなかった(ちなみにこのワイン、買っておけば今頃20万円近くになってたんやけどなぁ・・・)。
まあ、そのあたり、似てる環境ではありますが、ビミョ〜に違ってる。宝くじの少しの番号違いみたいな感じで、惜しいなぁって思いながらもけっこう楽しく読めましたけども。


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「人間は料理をする(下)」

2017-05-15.jpg皐月も中日も過ぎてしまい、本の話を。
去年9月に「人間は料理をする」の上巻を取り上げたんですが、今月はその下巻を。
ようやくというか、なんていうか・・・ま、やっぱりようやくなんでしょうね。

さて、上巻でも紹介したんですが、アメリカきってのフードジャーナリスト、マイケル・ポーランが挑んだ渾身の一作がこの「人間は料理をする」。
ポーラン先生は古代の四大元素である「火」(バーベキュー)、「水」(煮込み料理)、「空気」(パン)、「土」(発酵食品)について、それぞれの料理のオーソリティーに学び、訪ねた先で、あるいは家庭で、自ら豚を丸焼きにし、自然発酵のパンを焼き、チーズを作り、ザワークラウトを漬け、ビールを醸造します。
で、その体験に根差した思考と膨大な知見を織り交ぜながら仮説が展開されるっていうのがこの本のだいたいのパターン。でもって、上巻では、「火」(バーベキュー)と「水」(煮込み料理)なんですが、下巻は残りの「空気」(パン)、「土」(発酵食品)。
ポーラン先生は言います。「わたしは自然の産物をおいしい文化の産物に変えるさまざまな方法を学んだが、それぞれ世界との関わり方が異なり、自分になじむものもあれば、そうでないものもあった。ピットマスターは人々の前で、動物と火をうまく扱ってみせる。料理人は家で鍋に香草の風味を加える。どちらの料理も、わたしの人生の一部となったが、バーベキューをするのは特別な機会だけで、一方、鍋料理はもっと頻繁に作っている。しかし、すべての変化の中でわたしの心を最も強く捉えたのは、間違いなく発酵である。」と。
まあ、下巻はパンと発酵食品なんで、どちらにも共通するのが発酵ですからね。
もっとも、ポーラン先生はイイかもしれない。心を強く捉えてちょっと暴走気味な熱を帯びた口調。こと発酵に関してはそんな感じがするんですわ。
でもね、ぼくはやっぱり上巻のバーベキューの方がインパクトは大きかったなぁ。

ま、ともかく、ポーラン先生が実際にそれぞれの料理のオーソリティーに師事して学んだ中で最も重要なのは、料理とは「つながること」だということなんだそう。つまり、進んでそれを作ろうと決めたわたし(ポーラン先生)たちと、できあがったものを食べ、おいしければ喜んでくれる人々との関係だと。さらに「料理は人間の寛大さが最も美しい形で表出したもののひとつである。そして、最高の料理は、愛情の現れでもあるのだ。」とも。
このあたり、先月に紹介した「食べること 考えること」で、著者の藤原辰史さんが全く違ったアプローチにもかかわらず、最後に「みんなで一緒に作って、食べて、片づけることは、実に楽しく、美しい。」ということにたどり着いたのと重ねあわせるとなかなか興味深い。
そして、最後に訳者の野中香方子さんが取り上げたポーラン先生のことば、「愛する人のために、おいしくて栄養のあるものを用意することほど、利己的でなく、暖かで、有益な時間の過ごし方があるだろうか。さあ、始めよう」。

フフン、とっくにはじめてますよ。


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「食べること 考えること」

2017-04-15.jpg著者が語ります。「食べものは、祈りにも似た物語がなければ美味しく食べられないという事実。わたしたちは「食べもの」という幻想を食べて生きている ただ、やっかいなのは、幻想であるがゆえに物語が肥大化することだ。」と。
で、冒頭には、それにまつわるエピソードが語られてるんですが、それは省略。だって、祈りにも似た物語がないと、いかに美味しく食べられないかっていうことを表すエピソードですから。

著者の藤原辰史さんは農業経済学者。2013年、「ナチスのキッチン」で第一回河合隼雄学芸賞を受賞。この本「食べること 考えること」はそれに続く著作で、農業思想史・農業技術史の視点から、エネルギーや生命倫理、生活文化など、「食」をめぐる洞察が集められてる。

ただ、ぼくはこの前作「ナチスのキッチン」を読んでないもんですから、どんな作品かは想像するしかないんやけども、ちょうどこの本「食べること 考えること」の中で、31歳で夭折した画家、石田徹也さんの「燃料補給のような食事」という絵を引き合いに出して、こんなふうに説明してる。

「オレンジ色のエプロンを着た同じ顔で無表情の三人の店員が、黒いスーツに身を包んでカウンター席に座っている三人のサラリーマンの口に、ガソリンスタンドの給油ノズルをつっこんでいる。氷のように冷たい絵だ。この絵が切り取った現代の食の特徴はふたつ。「食べるひと」の機械化と、「食べるもの」の液状化である。家政学や栄養学が消化によいものを求めるあまり、料理から歯ごたえを奪っていった事実は、拙著でも紹介した。チェーン店の牛丼屋やハンバーガー屋は、見方によっては、こうした「機械化」と「液状化」という恐怖体験の娯楽施設でもある。拙著で描こうとしたことは、食事の、まさに「給油化」の過程だったのかもしれない。台所が小さな「工場」となり、食の技法が化学反応過程になる、そんな歴史である。」と。

で、著者は言います。「このあり方に、近現代人が求めてきた食の機能主義の究極的な姿を認めざるをえない。どちらも、人間ではなくシステムを優先し、どちらも、「食べること」という人類の基本的な文化行為をかぎりなく「栄養摂取」に近づけているのだ。」と。

さらに、「食べる時間を削って仕事に充ててきた日本の猛烈サラリーマンたちの行き着いた先が、「瞬間チャージ」が謳われる栄養機能食品であったことは、無数のドラッグストアやコンビニェンスストアが証言してくれるだろう。葉緑体を体内に埋め込み、太陽光でブドウ糖を生産する技術が開発され、台所と食事を廃棄する日もそう遠くはないのだろう。」とも。

著者は本書が「「複製技術時代」に人びとが生きものを食べたり育てたりする行為が、どのような変化を遂げ、どのような可能性を持っているかについての論考をまとめたもの」って書いてるんですが、これでは可能性ではなくて危険性を持っているかっていうことではないかな。

最後に著者は言います。「みんなで一緒に作って、食べて、片づけることは、実に楽しく、美しい。その時間を惜しんで成長に邁進する社会こそが【再暗黒】」だと。
そのとおりだと思う。そのとおりだとは思うんですが、もうちょっと祈りにも似た物語を交えて書いてほしかったなぁ。


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「ヒカルの卵」

2017-03-16.jpgきのうは月の中日っていうのをすっかり忘れてまして、きょうはそのかわりに。
中日はいつも料理そのものは一休みして、料理に関連する本のことを書いてる。
まあ、ひとくちに料理に関連って言ってもレシピ本からグルメレポートまでいろいろあるんですけど、今月は小説、「ヒカルの卵」。

あらすじはこう。山間の集落で養鶏場を営むムーさんが、村おこしのために「卵かけごはん専門店」を開くと決意した。あまりにも無謀な計画に唖然とする村人をどんどんと巻き込んで、いつしかハッピーエンドで終わるっていう、そんなストーリー。

いろいろな人が登場します。
もちろん主人公のムーさん。村田二郎っていう本名からムーさんって呼ばれてるんではなくて、単にムーミンに似た風貌だからっていう設定なんですが、この設定でほぼキャラのイメージができあがってる。
あとは親友の大吉や同級生の出戻り娘、直ちゃん。こうした面々がムーさんを中心にいろんなストーリーを編んでいく。

で、物語はそれぞれの登場人物の視点から語られる。
正直に言って、あんまり人物の書き分けがうまくいってるとは言い難いんですが、それでもテンポの速い展開が、そうしたところを置いてけぼりにして読み進ませるリズムを生んでる。

だから、ストーリーに盛り込まれたいろんなエピソードもラフなデッサンのようなできあがりなんですが、きっとこんなのをいちいち書き込んでいったらこんなテンポが生まれなかったんでしょうねぇ。まあ、そういう計算なんでしょうが。

そうそう、もうひとつ大事なのが卵。
卵かけごはん専門店を興すわけですから、そりゃもうウンチクたっぷり。
こだわって手塩にかけた卵だから魅力を放つわけなんですが、それ以外にも醤油にも、ごはんにもウンチクがたっぷり。

で、ウンチクたっぷりだから、飽食の世で山間に人々を誘うことができるわけ。
兵庫にはそのモデルとなったお店があるそうで、いつか近くに出かけた折には実際に寄ってみたいなぁ。

最後に、主人公のなくなったおとうさんのことば、「いつだって雄鶏みてえに胸張って、顔をいまより5度上に向けて歩けぇ」っていうの。これがイイ。この一文だけでこの本を読んでよかったと思う。ぜひ、今よりも5度上を向いて行きたいねぇ。


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「飲食男女」

2017-02-15.jpg2月も半ばまで来ましたので、ちょっと本の話でも。
先月が雑誌ブルータスの「帰ってきた! 日本一の「お取り寄せ」グランプリ。」なんていうのを取り上げたし、その前は去年の本のまとめの話をしたので、単純に本を取り上げるのは3か月ぶりってことになりますかね。
で、その久しぶりの本は久世光彦著「飲食男女」。

「飲食男女」って書いて「おんじきなんにょ」って読むんだそう。
「おいしい女たち」っていう意味深な副題がついてる。まあ、内容はその副題のとおりではあるんですが、そうではあるんですが、それだけと言ってしまえば身も蓋もない。
たしかに艶っぽい内容ではあるんですが、その艶っぽさがさらりと流れる。吉行淳之介さんとまでとはいかないまでも、なんだかそんなふう。

で、氏が言うには、「女を喩えるのに、いろんな言い方がある。花で言えば、《道端の名もない花に似た》とか、《儚げな梔子みたいな》・・・と喩えたりする。けれど、こうした表現にぼくたちは飽きてしまった。でも、やっぱり、女に喩えは必要なのだ」と。

さらに、氏が言います。「気がついたのは、《女》を喩える言葉は数限りなくあるが、ある食べ物や飲物の《味》に喩えた表現がほとんどない・・・これは意外に盲点かもしれない。」と。
 
唇の形や目の潤み、肢の下から背中へかけての曲線や足指の裏側の窪み、幸福に酔って束の間弛緩する肌も、怨みがましい性情も――女というものは、それらをみんなひっくるめて、つまりは《味》なのではなかろうか。いまは遠くなってしまった《女》をふと思い出すとき、男たちにまず蘇るのは、見開いた目でもなく、糸を引く喘ぎ声でもなく、白い内腿の火照りでもなく、もちろん涙の粒でもなく――それは、女の《味》である。

 ・・・いま少し苦みがなかったら、あのとき別れることにはならなかったかもしれない。ゆうべの甘さの名残りが、明くる朝まで口に残っていてくれたら、あんな言葉で傷つけはしなかったろう。――大方は男の身勝手に違いない。しかし――やっぱり女は《味》である。

・・・・・
ちょっと引用が過ぎたかもしれませんけど、本の後半にある一節。このあたりがいちばんキモのところではないんかな。
まあ、氏自身がそんな解説をしてくれてるところもそうですし、上の内容のとおり、結構きわどい書き方をしてるところもあるんですが、それが不思議とさらりと流れる。それが19篇。それぞれが残り少ないキャンディを愛でるように、じっくりと味わうように読める。

ただ、惜しむらくは、それが昭和なノスタルジ―のもとに書かれてるってこと。だれか現代風にリメイクしてくれへんかなぁ。


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