厨房男

こどもの頃に欠乏していた食の体験を取り戻そうとする厨房男の喰う・呑む・つくる・・・のはなし

「食べたくなる本」

2020-01-15.jpg毎月中日あたりには本のことを書いてる。

ルールは食に関する本。

食に関する本って言っても、領域はすごく広くって、いわゆる料理本から、食文化に関する本や小説、雑誌の特集、果ては絵本まで、ぼくが読んでオモシロイなぁって思ったのを気まぐれに取り上げてる。

 

で、ことしはいわゆる料理本を多く取り上げたいと思ってる。

去年は9月、10月と本の話をアップできなくて、11月にようやく「THE FOOD LAB」について書いたんだけど、順番から行くとその前に、この「食べたくなる本」の話をアップしたかった。というのもこの本、料理本を批評した「料理本の本」だから。

 

著者は映画批評家で青学の文学部准教授なんだけど、冒頭に記されてるのを読むと、ぼくと同様、料理書に魅了されて、日々の暮らしの折々にページをめくり、取りいれられるものは食卓に取りいれるということをしてきたんだそう。

でも、偏愛する料理の本を読み、ときにはそこに載っているレシピを実際に試しつつ、考えたことはもう、遥かに深く、なかなか唸らされる。

 

取り上げられてる文献も、何割かはぼくも既読の料理本。例えば土井正晴さんや高山なおみさん、ケンタロウさん、それから、ウー・ウェン先生や玉村豊男さん、四方田犬彦さんと、ぼくも以前取り上げたことのある方々の著作が名前を連ねてる。

でも、やっぱり未読の方の話に触れると、ほんとにその本を手に取ってみたくなるような思いに駆られる。

例えば、丸元淑生さんについて。

氏は殊に丸元さんについて、ずいぶんと紙面を割き、その世間の常識に囚われることのない独創的な提案に幾度となく触れている。

たとえば「煮魚」。ふたと鍋の間が密閉される鍋(ビタクラフト社のものを強く推奨)に、うろこなどを取った魚を入れて、上から酒と少量の醤油を注ぎ、ふたをして、ひたすらごく弱火で加熱をつづける。そうすると魚からも水分が出て煮汁となる。その汁の味を醤油で調整して完成というレシピ。誰かの釣果のおすそ分けで新鮮な魚が手に入ったら、ちょっとやってみたいなぁって思ったりしてる。

さらに極めつけはアサリ二キロのスパゲッティ。この量のあさりを使うと一切の調味料を加える必要がなく、完璧に味がまとまるんだとか。まあ、貝が苦手なぼくにとって、なかなか試しようのない話なんだけど。

 

それから、細川亜衣さんの蒸したカリフラワーのピュレ。

カリフラワーは塊のまま、蒸し器から甘い香りが漂うまでひたすら蒸す。花のところが危ういくらいにぶわぶわになり、芯まで同じように柔らかくなって初めて蒸し器から取り出し、器に盛って、何の抵抗もなくつぶれてくれたら、あとは香りのよいオリーブオイルをたっぷりと混ぜ込み、粗塩で平坦でない塩味をつけるのみ。

口にした人が、必ず目を見張る料理なんだそう。

そんな料理は、そうそう生まれるものではない。この文章に初めて触れたときは、おお、とまさに脱帽する思いだったという。・・・と、細川さんのことを書いた氏の文章に触れただけでこっちも脱帽したくなるんだけどね。

 

と、いろいろ書くとネタバレも度を越してしまうので端折るけど、「スローフードーレストラン計画」や「添加物の味きき」なんて言うのも、めちゃくちゃオモシロかった。

最後にもうひとつだけ、取り上げさせていただきたいのは山形の名店、アル・ケッチァーノの奥田政行さんに触発されたくだり。

なるべく新鮮な魚介を、まず生で一切れ食べてみて、どんな香り、どんな味わいがするかを分析してみる。次に、どんな陸のものと合うか、どう加熱すればいいかを考える・・・

これなんかは全文を通して読まないと、なかなかその本意は見えてこないだろうけど、ぜひ心がけてみたいなぁって思う。

 

とまあ、料理本を批評した「食べたくなる本」。

ことしは料理本を多く取り上げたいと思ってるんで、まずはこの本を。

で、なんでこの本を去年の9月、10月にアップしなかったかというと、この本、ひょっとしたら今年の1冊に推挙するかもしれないから。

それほどオモシロかった。まあ、これを超えるオモシロイ本が出てくれば、さらにオモシロイんだけどね。

 

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本のまとめ 2019

ことしもそろそろ年末だなぁ。

毎年、年末の中日には、その年にアップした本の中から1冊を選ぶんだけど、これをすると、そろそろ年末だなぁって思うわけ。

で、ことしも。

2019-12-15.jpg

1月 「もものかんづめ」

2月 「食の社会学」

3月 「食文化入門」

4月 「百人一酒」

5月 「食をうたう」

6月 「おいしいものには理由がある」

7月 「誇り高き老女たちの食卓」

8月 「男のチャーハン道」

11月 「THE FOOD LAB」

 

ことしは9冊。

もちろん読んでるのはその倍以上だと思うんだけど、秋に更新をしそびれたんで、結局、終盤に息切れしたみたいになってしまった。まあ、でも、9冊だと画像の納まりがいいんだけどね。

でもって、この9冊、あらためて俯瞰すると3冊ずつにグルーピングできるなぁって気づいた。

まずは、1月の「もものかんづめ」と4月の「百人一酒」、それに7月の「誇り高き老女たちの食卓」。このグループは女性が著者。「もものかんづめ」はさくらももこさん、「百人一酒」は俵万智さん、それに7月の「誇り高き老女たちの食卓」は本間千枝子さんがそれぞれ著してる。

で、1冊を選べとなると、やっぱり「誇り高き老女たちの食卓」だなぁ。「もものかんづめ」も「百人一酒」もすごくおもしろかったんだけど(おもしろくない本はここに上げるつもりもない)、やっぱり本間千枝子さん。なんだかおかんと同世代のこの人の本を読むと、生前もっと話をしておいたらよかったって思ってしまう。

 

それから、次のグループが2月の「食の社会学」と3月の「食文化入門」、それに5月の「食をうたう」。このグループは学問としての食文化に関しての本。

今年のはじめ、ひょんなことからレポートを書く羽目に陥って、その関連で。

で、前2冊はなるほどアカデミックな題名なんだけど、5月の「食をうたう」は一見そんな感じには見えない。でも、この本の著者の原田信男先生、日本の食生活史研究が専門領域で、その先生が著した短歌や詩を題材とした食に関わるエッセイ。これが頗るオモシロイ。

まあ、厳密にこの本を食文化関連とするのはちょっとどうかとも思うんだけど、このグループで1冊選ぶとなると、この本だよなぁ、やっぱり。でも、「食文化入門」も、この分野の蒙を啓いてくれたんで捨てがたいんだけど・・・

 

で、最後のグループが、6月の「おいしいものには理由がある」と8月の「男のチャーハン道」、それに11月の「THE FOOD LAB。これも厳密にはそうじゃないかもしれないけど、ざっくり言えばレシピ本っていうことになるんかな。

とりわけ、「おいしいものには理由がある」は厳密にいえばレシピ本じゃないんだけども、この本の著者、樋口直哉さんは料理人でもあって、この本を通じて接した氏の思考がとても興味深く、共感するところが多かったので、ずっと注目してる。

「THE FOOD LAB」も、これから学んだ真空調理法がずっとマイブームで、推挙したいのはやまやまなんだけど、「おいしいものには理由がある」は、今後の氏からの学びに期待して、ことしの1冊に選びたいと思う。

 

というわけで、来年も良書にめぐり会えますように。

 

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THE FOOD LAB

 

2019-11-15.jpg

久しぶりに本の話。

先月も、先々月も飛ばしてしまったからね。

決して本を読んでないわけじゃなく、ただただ単純に忘れてしまってただけのこと。

それも翌日くらいに気づけば、なんとかてへぺろってするんだけど、しばらく経って、あっ、ああぁ・・・ってなるんで、もう手の施しようがない。

 

とまあ、弁解をグダグダ言っててもしょうがない。早く本題をってことで、「ザ・フード・ラボ」。たまたま覗いた和泉中央の図書館で見つけた本。

著者はJ・ケンジ・ロペス=アルトっていうアメリカの人気料理サイトの名物シェフ。ニューヨーク・タイムスは彼のことを「インターネット・クッキングのオタク王」と呼んだんだとか。

もちろん、オタク王と呼ばれるからにはそれ相応のワケがある。そのひとつがMIT出身の科学者だというところ。科学的アプローチで、幾度も行った料理実験から得られた結果を、シンプルでわかりやすい方法へとフィードバックする。

こう書けば、なんだか容易に思えるけど、その実こうした落とし込み作業っていうのはずいぶんと骨が折れるハズ。以前にも取り上げた土屋徹さんの「男の―」シリーズは、まさにそうしたプロセスをひとつのストーリーに仕立ててるわけで、ケンジのばあいはそれを見せずに、何事もなくやすやすとしているかのように振舞ってる。

 

で、お気づきの方もいるかとは思うんだけど、このあいだ試した真空調理法も彼のアイデアを転用したもの。レシピにはないんだけど、読み込めば原理はだいたい呑み込めたんで。

ただ、この本をくまなく読み込むっていうのは、図書館から借りた3週間ではちょっと難しい。なにせこの本、400ページを超えるボリュームなんで。それでも、これは原書から「卵料理」「スープ」「ステーキ」の部分をまとめただけで、半分にも満たないボリュームなんだとか。

でも、こんなふうにぼくらが疑問を挟むことなく従ってきた昔っからの調理法を見つめなおし、もっとうまくいく新たな、しかも家庭でもカンタンにできるテクニックを再構築するっていうのは、以前紹介した樋口直哉さんが進めてる方向性とよく似てる。

まあ、そういった最新の料理学っていうのは、専門機関で学べばいいのかもしれないけども、なかなかおいそれとそういう行動には移せないもんだから、こんなふうに書籍として流通するっていうのは、ほんと助かる。

もっとも、400ページを超える超えるこの本、読み残してる箇所もいっぱいあるわけで、またそのうちあらためて借りてこないといけないなぁって思ってる。6000円の本はなかなかぼくには買えないんでねぇ・・・

 

 

 

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「男のチャーハン道」

2019-08-15.jpgきのうがドライカレーだからじゃないけど、きょうは「男のチャーハン道」。このあいだから読んでる本。

ジェンダー平等が叫ばれてる中でこの題名、少し気に障るんだけども、「なぜチャーシュー抜きか」っていう一節にそれを説明するくだりが出てくる。すこし長いけど引用すると――

「チャーシューを入れなかったのは、理由がある。チャーシューには考察すべき要素がとにかく多いからだ。

 どんな豚肉の、どんな部位を使うべきか。新しい肉と熟成させた肉のどちらがいいのか。調味料として何を選び、そしてどのメーカーのものを使うべきか。国産醤油がいいのか、中国産醤油がいいのか。お酒を入れるなら日本酒か焼酎か、あるいは中国のお酒がいいのか。焼いて作るのか、煮て作るのか。使うのは鉄鍋かフライパンか、圧力鍋か、あるいはオーブンか。火力はどの程度か。炭火や直火のほうがいいのか。そもそもチャーシューではなく、細かく切った肉を炒める方式ではダメなのか。豚肉ではなく、鶏肉や牛肉のほうがおいしい可能性はないのか…。

 いま思いつくだけでも、即座にこれだけ出てくる。それだけでI冊の本になってしまう。へたをすると『男のチャーハン道』より分厚い本になるが、はたしてそれが出版社の企画会議を通るのだろうか?

 右の検討リストを見て、あきれた読者がおられるかもしれない。でも、そうした細々とした検討を『男のパスタ道』『男のハンバーグ道』ではやってきた。「まるで求道者じゃん。そんなバカなこと、男しかやらないよ」という反応が多かったので、『男の○○道』というタイトルがついた経緯がある。」

――という弁明。これだって突き詰めれば異論が出てくるようなロジックなんだけど、ここではそういう話をするのが主眼じゃなくて、あくまでもこの本の内容の感想を。

で、この引用の前段に着目すると、「男のチャーハン道」の全体像もイメージできる。つまり、こういう試行錯誤、仮設と立証を延々と繰り返し、理想とするチャーハンへと辿り着くという、そういう流れ。それを読者が追体験し、その最良のレシピが体得できる、つまりその道を究めることが――紙面の上だけども――できるってわけ。

でも、深く読めば読んだで異論もある。

そもそも前提が家庭用のコンロなんだけど、わが家はIH。でも、基本的な考え方の高温をいかに維持するかという問題に関しては、こちらのほうがすぐれてると思う。だからわが家では中華鍋じゃなくて、IHに関しては熱効率のいい平たい鉄のフライパンを使ってる。

でもって、いかに手早く混ぜるかという問題でも、鍋(フライパン)をいかにコンロから離さずに熱を維持するかという点に腐心するんだけど、IHのばあい、鍋を滑らせて引き戻すっていう動作で、フライパンをあおるっていうのと同じようなまぜ方ができる。

それからポイントは卵の投入で温度がいったんグンと下がるのをいかに回避するかなんだけど、これを筆者は水分の少ない黄身(白身も少し残す)を、2度に分けて入れることによって回避する。でも、2度に分けるのだったら、最初に卵白多めの溶きタマゴ、仕上げに卵黄多めの溶きタマゴにすれば無駄なくできるんじゃないかな・・・

 

とまあ、異論はあって、実際にいろいろと試してみるんだけど、これがなかなか愉しくって、しかも結果も上々。そういう意味では、この「男の・・・」シリーズ、毎回ずっと愛読させていただいてます。

 

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「誇り高き老女たちの食卓」

2019-07-15.jpgつれあいが、「ヘェ〜、またなんでこんな本を?」と訝しがるのも無理はないと思う。

著者の本間千枝子さんは、1933年生まれだから86歳になられてるはず。女性の歳をとやかく言うのは如何なものかとも思うんだけど、ジェンダー平等の視点から言えばそれもどうかなぁ・・・ということで続けると、ぼくからすればほぼ母と子のような世代感覚。

そうした方の話にぼくが興味を示すっていうのは、ちょっと意外なんでしょう、きっと。正直に言って、ぼく自身も少し意外かなぁと思ったりもしたんだけど。

でも、読み始めるとこれがおもしろくって、やめられないとまらない。

母と子のような世代感覚とはいえ、むろん、うちのおかんとはくらべものにならないほどハイカラなわけで、姉のマダム・ミチコの話や、アリス・ウォータースのくだりなんかは流石というしかない。

でも、半面、やっぱり随所に母世代のような感覚が滲んでるのもたしか。鮟鱇の肝酢和えをめぐっての義母や義祖母とのやりとりを描いた「あっぱればあちゃんの「敵に不足なし」」のくだりはなかなか読ませるなぁと。

それに意外にかわいいところもあったりして、愛猫、茶チビの贈り物のことに触れたくだりも、とてもすてきだなぁ。

 

まあ、何度も書くようだけど、おかんとは全く違うハイカラな女性なんだけど、久しくそうした世代の方と、じっくりとやりとりする機会っていうのがなかったもんだから、よけいにのめり込んでしまったっていうのは、少しはあるんじゃないかな。

でも、この本、やっぱり若い女性に読んでほしいな。

 

それから、これは蛇足かもしれないけど、全12編の話の合間に、6つほどのレシピ(彼女は「レサピー」って記してるんだけど)が挟まってる。

このバランスがとてもいい。そして、それぞれの内容も。ことに「この世のものでないシチュー アラン・サンドラス「古代ローマ風の豚」」はつくるのに2日かかる大作なんだとか。でも、「この世のものでない」という味わい。これはいつの日か、是非一度挑んでみたい。まあ、いつになるかは分からないけどね。

 

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「おいしいものには理由がある」

2019-06-15.jpg「おいしいものには理由がある」。

こう書くと失礼かも知らないけど、題名はけっこうベタ。

で、中身は何かっていうと、日本でつくられてるすぐれた食の素材や調味料のルポルタージュ。

著者の樋口直哉さんは、料理人であり、作家でもある。

ふつう、よくあるグルメな小説家がこういうルポを書けば、薀蓄が必ず散りばめられてて、それがいかにうまく文章に溶け込ませられてても、なんだか鼻につく。いくらグルメであっても、料理人ではないですからね。

でも、この本にはそれがない。

いや、ないというか、つとめて抑制しようとしてる。料理人だから、自前の理論を振り回すことは、たやすい。でも、それをつとめて抑制しようとしてる。だから、すごく読みやすい。

卵にはじまり、まずは納豆。で、章立ての関係か、項目には挙げられていないんだけど、途中豆腐の話が挿まれてる。これがいい。ネタバレになるから書くのは控えるけど、ここからダダダと引きこまれた、ぼくのばあい。

それから醤油。さらに鰹に昆布。

ただ、牡蠣嫌いのぼくにとって、その次の牡蠣のところは少し醒めてしまう。

まあ、仕方ないですけどね。

でも、牡蠣嫌いのぼくにとってもおいしそうだなぁってなったのは、開高健の牡蠣の描写以来。たぶん、開高健のブンガク的な筆致に比肩するほど、料理人の視線で鮮やかに料理された現場取材のチカラなんかな。

それからルポは、海苔、佃煮を経て、短角牛、鶏肉、牛乳へと向かう。

そして最後はウスターソース、マヨネーズ。これがまたいい。

この本を締めくくるにあたって、最後にマヨネーズを持ってきたのは、筆者としての思い入れに違いない。

 

先にも書いたように、樋口直哉さんは、料理人であり、作家でもある。

小説のほうは未読なので、いずれ手に取ってみたい。

でも、おそらく、この才を活かせるのはこうしたルポルタージュのほうなんじゃないかな。

じっさいにも、活動はどうやら料理人の方に力点を置いてるようで、そういうわけでぼくが図書館に予約してるのは「新しい料理の教科書」。ちょっと楽しみにしてる。

 

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「食をうたう」


2019-05-15.jpg

以前、食文化に関するレポートを書いたとき、原田信男先生にはたいへんお世話になった。

といっても、勝手に著作を読み漁り、いろいろと引用させてもらっただけのことなんだけど。

で、原田先生、日本の食生活史研究が専門領域なんだけど、大学院修士課程の頃、日本中世史の勉強に身が入らず、論文など放り出し、評論や詩集・歌集にばかり耽っていたそうで、本人知ってか知らずか、その著作からはそう言うところが滲み出てるようにも思う。

で、今回は、その原田先生が著した短歌や詩を題材とした食に関わるエッセイ。

文章って不思議なもんで、あとがきに、「おかげで、むかし読んだり集めたりした本を読み返し、この際にと思って、かつては手の出なかった詩歌関係書を、まとめて買い込んだりした。歴史の論文とは異なって、興味の赴くままに調べものをし、文章を楽しく書くという機会を毎月もてたことは幸せだった。」と書いてるんだけど、こうした愉しい雰囲気っていうのもやっぱり伝わってくる。

でも、楽しく書いてるっていう割にはその内容はすごく鋭い。本人は詩歌の単なる、しかも偏った愛好者にすぎないっていうんだけど、その内容には脱帽だわ。

 

で、先生が取り上げた数々の作家の中で、長田弘の『食卓一期一会』の冒頭には、「言葉のダシのとりかた」という詩で飾られている。

 

  かつおぶしじやない。/まず言葉をえらぶ。/太くてよく乾いた言葉をえらぶ。/はじめに言葉の表面の/カビをたわしでさっぱりと落とす。/血合いの黒い部分から、/言葉を正しく削ってゆく。/言葉が透きとおってくるまで削る。/つぎに意味をえらぶ。/厚みのある意味をえらぶ。/鍋に水を入れて強火にかけて、/意味をゆっくりと沈める。/意味を浮きあがらせないようにして/沸騰寸前サッと掬いとる。/それから削った言葉を入れる。/言葉が鍋のなかで踊りだし、/言葉のアクがぶくぶく浮いてきたら/掬ってすくって捨てる。/鍋が言葉もろともワッと沸きあがってきたら/火を止めて、あとは/黙って言葉を漉しとるのだ。/言葉の澄んだ奥行きだけがのこるだろう。/それが言葉の一番ダシだ。/言葉の本当の味だ。だが、まちがえてはいけない。/他人の言葉はダシにはつかえない。/いつでも自分の言葉をつかわねばならない。

 

この歌にはマイッタ。

 

そのあと、先生の解説が続くんだけど、詩歌に明るく、日本の食生活史研究を専門領域にしているだけあって、その面目躍如といったところ。

で、この長田弘さんには殊のほか思い入れが深いようで、巻頭にもこんなふうに引用してる。

 

 「長田弘の詩集『食卓一期一会』には、しみじみとした味わいのある作品が多く、本書にも何度か登場することになる。その「あとがき」に、彼は「食卓につくことは、じぶんの人生の席につくこと。ひとがじぶんの日日にもつ人生のテーブルが、食卓だ。かんがえてみれば、人生はつまるところ、誰と食卓を共にするかということではないだろうか」と記している。」

 

そして、「終章 逡巡の果てに」の最後にこんなふうに書かれている。

 

「これまで、詩人や歌人・俳人たちの食との関わりとこだわりを見てきたが、それらはあらためて『プレイバック』のフィリップーマーロウ風に言えば、「食べなければ、生きていられない。食べるだけでは、生きている資格がない」ということになろうか(清水俊二訳を改変)。

 このレイモンドーチャンドラーの巧みなレトリックに従えば、生きていくなかで、どのように食べていくのか、それこそが、さまざまな人生の味わいなのであろう。本書で取り上げた詩歌はそのほんの一端にすぎない。」

 

今回こんなふうに詩歌に接し、いろいろとその面白さに開眼したようにも思う。「取り上げた詩歌はそのほんの一端にすぎない」ということなんで、もう少し、この領域にも浸ってみようかなぁって思ってる。

 

 

 

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「百人一酒」

2019-04-15.jpg次の元号が「令和」に決まって、その出典といわれる万葉集の「梅花の歌」に、にわかに注目が集まってるようだけど、その作者といわれてる大伴旅人。同じ万葉集に、「酒を讃むる歌十三首」として彼の歌が残ってる。

 

この本の著者、俵万智さんは、この一連が大好きで、卒業論文にも登場させてしまい、そしてまた、この「百人一酒」でも取り上げてる。

 

験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし

(つまらない物思いをするぐらいなら、濁り酒を一杯飲んだほうがいいよなぁ・・・)

 

賢しみと物言ふよりは酒飲みて酔ひ泣きするし優りたるらし

(偉そうに物を言うヤツよりも、酒を飲んで泣いちゃったりするヤツのほうが、俺はマシだと思うよ・・・)

 

万智さんが取り上げる旅人の歌は、「梅花の歌」みたいな格調はないけども、万智さんの意訳がいいのか、グッと親しみが湧いてくる。

「一緒にお酒を飲んでみたい歴史上の人物」を選ぶとしたら、私はまず、彼をあげるだろうとも言ってるのも、さもありなんっていうところ。

 

と、この本、なかなかの酒飲みの俵万智さんが西へ東へ駆け巡り、今に昔に思いを馳せてさまざまに酒を飲み、味わう。

でも、マルゴーのヴィンテージを垂直に飲んだり、ドンペリのパーティに出かけたりと、ちょっとスノッブな感じもするんだけど。

ぼく的には、やっぱり缶チューハイ二杯のイメージがあって、その庶民的なイメージとはちょっと違うようだなぁ。

 

でも、牧水のこの歌をやっぱり取り上げてくれて、酒好きとしては嬉しいかぎり。

 

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ

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「食文化入門」

2019-03-15.jpgこのあいだまで、ひょんなことからレポートに取り組む羽目に陥ったのですが、どうせ書くなら食文化に関するレポートにしようと、わざわざこちらへ水を引っぱってきた・・・ていうのは以前にも書いたとおり。

で、あらためて食文化っていうのを考えるのに、まず繙いたのがこの本。

 

この本の著者、石毛直道先生は食を新しい学問として開拓した食文化の泰斗。ぼくに食文化というものの蒙を啓いてくれたわけで、いやもう、さん付けでお呼びするのもおこがましい。ここはもう先生と呼ばねばと思ってる。

 

で、その先生が言うには、食べることは「文化」だと。

「文化」っていうのは、生物としてのヒトに遺伝的に組み込まれた行動ではなく、人間の集団のなかで後天的に習得しなければならない行動。食欲は生物に遺伝的に組み込まれた本能でもあるけど、人間の食事は、他の動物の食事とは異なる側面がある。人間が「食べる」ということには、食物を生産し、加工し、あるいは食物を器に盛って食べる、食べかたを規定する食事作法などさまざまな事柄がつきまとってる。それらの食事にまつわる技術や食事においての人間のふるまいかたのおおくは、本能として遺伝的に伝達されることではなく、ヒトが生まれたあとに学習した、文化的な行為だと。

とはいえ、人類の食行動の変異の幅はきわめて広いわけで、その中ですべての人類に共通し、しかも人類史の初期にまでさかのぼれる事柄はなんであるかを考えたとき、「人類は料理をする動物である」というテーゼと、「人間は共食をする動物である」というテーゼにたどりつく。

「料理」は、自然の産物である食品の加工であり、食に関する物質的側面の話。一方の「共食」は、食べるという人間の本能的ふるまいに文化を付加することであり、食の社会的側面といえる・・・と。

でもって、ぼくは、この共食っていうところにすごく惹かれたわけ。もちろん共食っていうのは共食いではなくて、一緒にテーブルを囲むってこと。それが、家族であったり、異文化コミュニケーションの始まりであったり、あるいは、神と共に食を経験するっていうことであったり。

 

食に関する文化の研究は、食物史の分野を除いては,世界的にもあたらしい研究領域なんだそうで、先生が食文化の研究を開始した1960年代の終わりごろは欧米でも、食の文化的側面に関する研究は食物史の分野に関する事柄が主流で、文化人類学視点から人類の食を総合的に考察することは行われていなかったんだそう。

そうは言っても、先生が研究を始められてからほぼ50年が経過するわけで、その間の業績は膨大なものになると思う。

レポートを書くにあたって内外含めて数十冊は目を通したつもりなんですけども、そんなのまだまだほんの一部なわけで、あらためてこの領域の広大無辺なことに気付かされてくらいのもの。

七転八倒した割には、レポートの出来はまったくもって不本意だったっていうのはともかくとして、これを機会に食文化っていう領域を再認識できたっていうのはひとつの収穫と思いたい。

だから、この領域、これを機に少し、うろついてみようと思ってます。

  

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「食の社会学」〜パラドクスから考える〜

2019-02-15.jpg最近、ひょんなことからレポートを書く羽目に陥りまして、やたらに本を乱読してる。

だから、ブログで取り上げる本を読む暇もない・・・と書きたいところなんですが、実はそのレポート、食文化に関するレポートなんで、ブログとけっこう重なるところがある。

もっというと、どうせ書くなら食文化に関するレポートにしようと、わざわざこちらへ水を引っぱってきたっていうのが真相。

 

さて、そのレポートを書くにあたって読んだ本となれば、石毛直道やマイケル・ポーランなど、内外含めてもう数十冊にも上るんですが、いちばんおもしろかったっていうか、興味を引かれたっていうか、引用をいっぱいしたっていうのがこの本、「食の社会学」。「パラドクスから考える」っていう副題がついてます。

著者のエイミー・グプティル、デニス・コプルトン、ベッツィ・ルーカルは、いずれもニューヨーク州立大学やインディアナ大学で教鞭をとってる准教授。で、彼女らが「食」にまつわるパラドクスを切り口に、複雑化する現代の食文化のさまざまな側面を検証していく。言ってみれば若手の学者が、近年注目されている「食」をめぐるテーマをめぐり、人類学、社会学、地理学、政治経済学、歴史学といった知見を総動員して論じてるわけ。

章立ては、第1章が「食の社会学」で、この本の原則とこの本における“パラドクス”について、第2章「食とアイデンティティ」では、食べ物がなぜ個人や集団のアイデンティティの中心となるのかを、第3章「スペクタクルとしての食」は、豪華な料理を支える労働は非常に苛酷なことや、フードエンターテインメントを提供するメディアについて、第4章「栄養と健康」では、農業団体や食品産業の利益を保護しつつ、人々に栄養勧告を行う米国農務省の抱えるパラドクスを論じてる。

第5章「ブランド化とマーケティング」では、消費者主権と企業の影響力について、第6章「工業化される食」では、工業的に生産されるハンバーガーなどの食品の安さと、社会的・環境コストの高さというパラドクス、第7章「グローバルフード」では、国境を超え複雑化する食品供給網を論じ、第8章「食料アクセスの問題」では、食へのアクセスの不平等から余刺と不足が同時に起きているパラドクスを、そして終章の第9卓「食と社会変化」では、新たな価値を求めてフードデモクラシーというキーワードで締めくくられている。

 

このなかで、引用したのは、第2章と、第9章なんですが、むしろ引用したところ以外の、食をめぐるジェンダーやLGBTにおける食の分担なんかがけっこうおもしろいなぁと。

たとえば、ゲイやレズビアンのカップルでは、食事のしたくはカップルの間で平等に配分されていないそうで、にもかかわらず、ゲイのカップルでは、料理にあまり関わっていない男性が、自分は料理に関わっていると主張する。

これは、もう一方の男性の男らしさのイメージを強化しようとしているのではないかという考察がある一方で、レズビアンのカップルでは、食事の準備に関わることの多いほうは、そうではないほうの女性らしさを傷つけないために、自分の仕事を控えめに言う傾向があるんだそう。

こういう自分のテーマとは脱線したところにオモシロさが散らばってキラキラしてるわけ。

 

例によって、レポートはまだ七転八倒してるところなんですが、レポートを脱稿してからもう一度あらためて読んでみたいなぁ。

もっとも、この本、近隣の図書館にはなくて、わざわざ大阪府立の図書館から取り寄せてもらったんで、手続きがまためんどくさいんですけどね。

 

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